kangaroo voice
2016-01-31T02:57:53+09:00
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生きる力を取り戻す。 (わたし自身のための覚え書き)
Excite Blog
2015新年の写真 いまをいきる
http://hapuna.exblog.jp/20707787/
2015-01-13T19:44:00+09:00
2015-01-13T20:07:24+09:00
2015-01-13T16:33:41+09:00
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おぼえがき
いまをいきるとは
いまできること、いましたいことをする
シンプルに、ただそれだけ
それがまんなかのじぶんをいきるということ
大きく左に行き過ぎたり、激しく右に行き過ぎてみたりと
そこからの軌道修正にずいぶんと時間のかかった人生だったような気もいたしますが
本日ふと、あぁ、なんだこれでよかったんだと思って。
右でも左でもなく、もうただ直球ど真ん中をいけばいいんだなぁと思って。
真ん中の道をこれからまっすぐに歩いていく、ということでもなく
ただもう真ん中にいるだけなんだなぁって。
そうか〜、そこかぁ、ていうか、なんだここかぁと思って。
ここにいればいいし、ここにしかいないねぇって。
そしてたぶんずっとそこにしかいなかったんだよねぇって。
それがTさんが言ってた(書いてあった)「僕らのふるさと」なんだねって。
だからといって、多幸感でふわぁ〜とハイになるわけでもなく
ふつうにおちついて結構からだの下の方からもそうか〜って
静かに、なんとなく、なんか納得してるよう感覚だったので
この感じがもしかしてハラ(腹)でわかるでもあったのかなって。
あ、なんだこれか〜(笑)な感じだったので
たぶんそうでしょ、きっと(笑)
そういうことにしときます(笑)
いかに自分がこれまで物語を生きてきたのか、ということが
ようやく理解できるようになったきた後に
「物語を一旦捨てて、改めて物語をいきるとはなんぞや?」みたいな問が
なんとなく年末近くにどこかにあって
すべて物語なんだったら、別に年末だから大掃除とかしなくたっていいってことじゃん。
年神様を迎えるためとかって、それも物語じゃん。
てか、結局それも自分の中にしかないんでしょ?みたいな。
別に激しくいじけて考えていたわけでもなかったんだけれども。
だけれども、この肉体を持っていきている限り、
どうやったって物語からは逃れようはないわけじゃん?
で〜っ??
それで〜??みたいな。
だからそうじにも着手できなかったわけでもないとは思うけれど
なかなか年末ごとにも取り掛かれずにいたところ
それでもやっぱりできるだけさっぱりとした気持ちで新年を迎えたいよね〜と思って
うんこらせと重い腰を上げて
最近少しばかり汚れをためるようになってしまっていた
トイレそうじにようやく着手したところ
ずるっと汚れを落としたとたんに、ああ、と。
そんな感じでそこから何か静かに動き出して。
紅白観ててもなんか今年はいちいちうるうるくるなぁ〜
みたいなこともあったけれど。
同時に、だからといってけして号泣とかには至らない、
強い緊張感もからだにはあって。
とてつもないからだのこわばりのスキをついてなんかうるうるくるなと。
これは?ひょっとしてあれかな?近づいてるのかな(笑)
というような、こともちょっと感じたりもしつつ。
年末年始の家族との時間も後押ししたのでしょう。
今日も、昨秋から腰回りのリハビリでお世話になっている
理学療法士さんのコメントが
いつものことながら、またしても至極的をついていて、
それが今まで受けたセッションとか、
これまでお世話になった方々からご指摘いただいていたことなどとまたリンクして、
あぁ、そうか、となったわけでした。
<今年はいつもと違う年末年始を弟から母にプレゼントしてもらい、
年越しのジルベスター・コンサートには弟がお伴し、
わたしは2日のニューイヤーコンサートに。
ちょっとぼやけているけれど会場のサントリーホールにて。
久しぶりの生の弦楽器の音に胸が震える瞬間もありました。
今回が来日公演の最後になるという、
85歳のとてもかわいらしい感じの、おじいちゃん指揮者の方でした。
ピンチヒッターで出演されたソプラノの天羽さんへの拍手が
ひときわ盛大で、とても温かったことも印象的でした。>
<アンコール曲が終わった瞬間、パンっ!と何かが弾けた音がして
上から銀テープが降ってきたので記念に少しお持ち帰り。>
銀テープを手にして思ったことは、
やっぱり嵐ライブの演出ってすごいんだなってことでした(笑)。
観客を楽しませるために凝らしている演出の数々が。
嵐だけでなく、他のグループもそうなんでしょうけれど。
激しくジャンルが違うとはいえ、
あれから(2010年の国立ライブを体験してから)
他アーチストの方のイベントに参加するたびについそう思ってしまいます。
嵐さんライブの銀テープを間近で手に取ったことはないのですが、
ネットの写真で拝見した限りでは、テープの幅ももっと広くて、
メンバーカラーでロゴとかツアー名とかも入ってますよね?
そういえば、一昨年に参戦させていただいた
V6さんのライブの銀テープには
メンバーからの手書きのメッセージも印刷されてました。
確か、いのっちからのメッセージだったので、
ほくほくと持ち帰ったのですが、
あれはどこにしまったんだったかな?
すっかり忘れていました。
V6さん、紅白初出場、本当におめでとうございました!
わたしもとても嬉しかったです。
つらつらと思いつくままにここまで書いてきたんだけれど、
記事の締めがこれなんだ(笑)。
まさかのV6さん締めと相成りましたので、
つまりこれも「愛なんだ」ということにしておきます。(笑)
ついでに
<二円切手はうさちゃんだった。>
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ことりカフェからの吉祥寺三昧記...のはずがっ!
http://hapuna.exblog.jp/20093199/
2014-08-14T14:23:00+09:00
2014-08-14T18:36:12+09:00
2014-08-14T14:23:15+09:00
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未分類
ことりカフェの続きの写真とともに
だんだん書いているうちに熱をおびてきた
その後の吉祥寺三昧の記事。
最後のバーでの詳細を書いているうちに
ばっと一瞬で全部消えてしまったよぉぉぉ〜〜
ことりカフェおすすめ、ボローニャのフレンチトースト
とりさんのバニラアイス添のとりさんのアップ他写真のみ簡単に再掲。。
おっと生誕50周年のお祝いでの楽しくおしいしいひとときでした。
懐かしい若き日の思い出のつまった新宿TAKANOインディアンティーセンターの
ダージリンとアッサムに出会った。
食器類はお店でも販売されている、ことりgoodsのクリエイターさんたちの作品。
ことりカフェから井の頭公園内を歩き
新しくなった吉祥寺駅ビル?内の青山フラワーマーケットのカフェにて
フレッシュハーブティをゆっくりいただいた。
この日に備え、アロマトリートメントで英気を養う前日のワタクシ。
ご自宅の庭で栽培されたフレシュハーブのフットバスを初体験。
ささやかなお祝いのケーキ
カフェの後のハモニカ横丁のお寿司屋さんとバー「vision」さん。
どのお店もタイミングよくスムーズに座れてよかった
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ことりカフェ
http://hapuna.exblog.jp/20093027/
2014-08-14T12:54:00+09:00
2014-08-14T15:19:36+09:00
2014-08-14T12:54:59+09:00
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未分類
ことりカフェ(吉祥寺店)ジブリ美術館の向い。
調布から吉祥寺行きのバスで明星学園前下車。
そのままバスの進行方向へ歩くこと数分。
おかめインコのKiss。
たがいに牽制し合うサザナミインコたち(笑)
お店の人に聞いて知った名前。
羽の模様がさざ波のようだからサザナミインコと。
デグーと同じ南米出身でもあるそう。
(ルカはわたしと同じ群馬県生まれだけど・笑)
ブルーグレーの地味な色合いとゆったりとした動き方に惹かれた。
惹かれたのはすっかりルカに洗脳されてるから??
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お盆とジョシュア・ツリー (中身はただのルカケツ)
http://hapuna.exblog.jp/20092972/
2014-08-14T12:26:00+09:00
2014-08-14T12:35:09+09:00
2014-08-14T12:26:50+09:00
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未分類
タイトルとはうらはらに、生後5カ月半のデグーのおしり。
ハムケツブームにあやかり、うちの子ルカのおしりで"ルカケツ"!
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つっちーからの、ルカ
http://hapuna.exblog.jp/20093733/
2014-03-23T17:53:00+09:00
2016-01-31T02:55:32+09:00
2014-08-14T17:53:02+09:00
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バッタ
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続バッタ (ツチイナゴの”つっちー”の思い出アルバム2)
http://hapuna.exblog.jp/20093588/
2014-03-14T17:18:00+09:00
2016-01-31T02:56:12+09:00
2014-08-14T16:59:26+09:00
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バッタ
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バッタ (ツチイナゴの”つっちー”の思い出アルバム1)
http://hapuna.exblog.jp/20093640/
2014-03-14T17:17:00+09:00
2016-01-31T02:56:53+09:00
2014-08-14T17:17:05+09:00
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バッタ
なぜか、その後もバッタの記事のアクセスが、
二年近く経ってもダントツで多かったため(2016年1月末現在)
どういうニーズなのかよくわかりませんが
思い出アルバムを後からいくつから掲載しました。
最初の発見場所。
このままここに居続けられると、窓の開閉時に体をはさんでしまう恐れがあるため
このあと、ざるなどを使って、下に移動願った。
そこで、水分補給になるかと、ひとまずきゅうりを差し向けてみた。
少しかじったような歯形が残っていた。
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永遠のバッタ
http://hapuna.exblog.jp/20093662/
2014-03-08T17:26:00+09:00
2016-01-31T02:57:53+09:00
2014-08-14T17:26:54+09:00
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バッタ
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がんばった私とがんばり過ぎてしまう私 (過去記事)
http://hapuna.exblog.jp/19496406/
2014-02-23T11:27:00+09:00
2014-06-18T18:33:02+09:00
2014-02-23T11:27:47+09:00
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おぼえがき
ちょっと書いておこうか思ったことがあって、PCを開いてみたものの
テンション低すぎてエネルギー不足だったもよう。
少し前に、かつて少しこのブログに書いていた時に
未公開にしたままだった記事を掲載してみようかと思っていたので
今日はその内のひとつをアップしてみようと思う。
2006年2月14日の記事。ここから↓
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
私自身の中に長く染み込んでいた
一種セラピー偏重主義のようなというか
あるいは偏愛主義とも呼べるような部分を
大きく是正していく時期、徐々に覆すような時期に
さしかかっているのだなというようなことを感じている今日この頃。
それもひょっとすると
たましいレベルだったりしたのかもしれないぁ
なんてふと思ったりした。
だってアメリカのセレブ(当時はそんな言い方ではなかったけれど)は
みなお抱えの精神分析医にかかっていて、非常にお金がかかることなので
それが一種のステイタスにもなっている。
と、いうような話を聞いて、「いいな。私もいつかそういうことを体験してみたい♪(目がハートになっている)」なんてことに憧れていた中学一年生って、かなり変だものね。
修行体質からはもう卒業しよう。
暮れにぎっくり腰で寝込んでいたときに
もうこれからの残りの人生は自分に無理を強いるようなことはやめよう
みたいなことをたっぷり考えていたのにあやうく忘れるところだった。
もう修行体質からは卒業しよう。
修行体質と貴族体質を合わせ持ち
その葛藤で苦しんできたともいえる私なのでした。(苦笑)
( 2006年2月14日 11:03 「がんばった私とがんばり過ぎてしまう私」 非公開投稿分 )
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
以上、過去記事↑ここまで。
これについても現状にからめて書きたいことがあったのだけれど
ちょっと頭というかエネルギーがまわりませぬ。
ここ10日ほど、これは自律神経系の不調だよなぁ〜というような
症状というか状態がいくつか続いていて
しばらく"命の母ホワイト"を一日1錠(じゃなかった1回分の4錠だった)ほど飲んで
軽いめまいなどの症状を落ち着かせていたものを
"命の母A”(レッド)に切り替えてみた。
1回飲んでみたら、1時間半ほどしたらすっと妙な眠気のようなものが抜けたので、
やはりまたこっちに変わっていたかと、おとといは多分初めて一日3回飲んでみて、
昨日は2回飲んでみた。
でも今日は飲まない予定。
こんな季節、こんなお年ごろでもあるので
やはり必要であると判断されれば
また再開するのも良しとは思っているのだが
5年強、つまり父の納骨後に腰が立たなくなって以来
だいたいにおいてほぼ毎週お願いしていた
メンテナンスを今ちょっとストップしてみている。
それをやめてみたから起こっている不調なのか、はたまた、もしかすると
こういうことにも一種の離脱症状みたいなものもあるのか??などとも思いながら、
様子をみている。
ただこの5年強の間も何度か一時的にやめてみたり、間隔を空けてみたことはあって
やはり具合が悪くなってきたからまた再開、ということもあったが
やめてみたらなんともさみしい気持ちがしてきた、ということもあった。
でもさすがに今回はもう、それがなかったらさみしいということはなかった。
そして、なぜか同時にその分を補うべくフラワーエッセンスに頼るということも
できなくなってきた。
なぜかできなくなったというよりも、どちらについても少し前から
なんとなくそんな気(もしかしてなくてもいいのかもしれない)がしていたところへ
ちょうど背中を押されるようなことがあったから、ということでもあったのだけれど。
ここでちょうどおなかもすいてきたので、食事の支度にかかるとするか。
]]>
みとめたくな〜い。。 (また大きなバッタ画像あり)
http://hapuna.exblog.jp/19451400/
2014-02-11T10:28:00+09:00
2014-06-18T18:30:30+09:00
2014-02-11T10:28:54+09:00
kangaroo-voice
おぼえがき
うすうす感づいてきてはいたのだ
自分にとっての最後の相似形
もう気がついてきてもいたのだ
自分がただ愛されているだけの娘にすぎないのだということに
だがそこをみとめたくないちいさな声がいた
みとめたくな〜いっ!!
(某有名アニメのセリフ風w)
☆そして「全部逆のベクトルで考えていく」こと
<写真はかごに保護されてしまったことをみとめたくない?バッタ>
]]>
だがしかし、ちいさな声のフリをするヤツもいる。。?(あくまで自分の脳内での話)
http://hapuna.exblog.jp/19436147/
2014-02-07T14:55:00+09:00
2014-06-18T18:26:06+09:00
2014-02-07T14:53:02+09:00
kangaroo-voice
おぼえがき
ちいさな声だったら信用できるのかと思っていたら
そう言ってると今度は
ちいさな声のふりをする奴ってのがいるということにも
ワシ昨年の暮れに気がついたのだ。
まさに弱者のフリして...ってやつなのだ。
弱者のふりして、至極まっとうそうなことを言ってくるのだった。
そんな事言われちゃったらね......
みたいなことなのよ。
実に巧妙なしくみになっておる。
あくまで自分自身の脳内でのはなしだよ。
(ちなみに話は噺とも書くね。他に離し、華視、歯なし、葉なしなど... これは今ここでは本当に単なるメモとして)
まさに今世間を騒がしているホットなニュースとリンクするともいえる。
ただまだこれもまだ自分の中での仮説および検証段階につき
今はまだこれ以上書けないということでもあるのだけれど
これ以上書いている時間も今本当にないので取り急ぎここまで。
]]>
たとえ18年間欺き続けてきたのだとしても (〜あの娘に御用心♪)
http://hapuna.exblog.jp/19435807/
2014-02-07T12:07:00+09:00
2014-06-18T18:25:38+09:00
2014-02-07T12:58:01+09:00
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おぼえがき
彼は決意した。
もうそれはやめると決意した。
そして行動に移した。
「これ以上、自分の大好きな音楽で世間を欺きたくない」と。
それを自分自身のことに置き換えてみたら
「これ以上、大好きな自分が、
(本当は)大好きで大切な自分自身のことを
騙し続けることをもう誤魔化したくない」
と、いうようなことになるのかと思った。
「騙(だま)す」という字は「煽(あお)る)」という字と実によく似ていたんだね。
今打ってみて、今気がついて、びっくりだよ。
少し前からふとした時に、折につけ
かなしい気持ちを感じていることに気がついていた。
それはずっと以前から相も変わらずあったものでもあったと思うし
これまでもその時に何か思い当たる理由付けが浮かべば
そういうことのせいなのかもしれない、とその都度納得してみたり
これはいったいなんなんだろう?と思いを馳せてみたこともあったと思う。
でも、ふと今朝思ったのは
新垣さんが見せてくださったことについて書こうと思って
それから思ったのは
この哀しみは、
「自分自身を裏切っていることに対する、
悲哀の感情だったのではないか」と。
そんなことを思った。
自分の中のかすかな違和感や、
ちいさな声が伝えていること。
何か違う気がするとか、それは本当に必要なの?、とか
あるいはそれは必要ないと思うよ、とか。
ずっと伝えているのにいつまでたっても
ちっとも耳を貸してくれないって。
本当は少し聴こえていたときだって
聞こえてないふりもしたりするって。
ちゃんと気に留めてくれてないって。
そうやって自分の気持ちに嘘をついたり
誤魔化したり、騙したりしてる、って。
それはかなしいよ、って。
そういう哀しみだったのかもしれないと。
そんな風に思った。
でもまだ仮説のようなもの。
それは行動してみなければわからない。
自分で行動することでしか、その先の風景は見えてこない。
::::::::::::
☆「誤魔化す」という字も打ってみて気がついたけれど
「誤った魔法に化かす(化ける?)」って書くんだね!(驚!&苦笑)
:::::::::::::
♪何はともあれ 御用心御用心
あの娘に逢ったら 御用心御用心
逃げた方がいい 心を奪われる前に
催眠術にかかって
覚めるのに5年はかかるよ♪
「あの娘に御用心」 作詞・作曲 大瀧詠一
http://www.exblog.jp/myblog/entry/edit/?eid=a0040338&srl=19435807
昨日、今唯一手元にある大瀧さんの作品集のCD「SONG BOOK Ⅱ 」を
ごくごく小さく繰り返し部屋でBGMとして流していたら
突如こんな歌詞が耳に入ってきたのだった・笑
おやこれは?と。笑
全文掲載はまずいのかと思ったので
検索して一読していただければと。
]]>
楽しい音楽をやるために
http://hapuna.exblog.jp/19423896/
2014-02-04T11:17:00+09:00
2014-06-18T18:24:17+09:00
2014-02-04T11:17:50+09:00
kangaroo-voice
おぼえがき
“やはり楽しい音楽をやるために、そういうイヤな力はどんどん排除していこうよ”
”大滝さんは知識をたくさん持っているけれども、知識だけじゃなくて知恵のある人だと思う。”
”僕の上の世代の人たちはあまり僕らに伝えてくれなかったけれど、大滝さんは僕にいろんなことを伝えてくれて、僕はその中から必要なものだけを貰いました。”
以上&以下< >内、ともに『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』のウィキペディアからの引用。
<後に杉は「トライアングルの発表があった日、ある知人の家に大滝さんと一緒に行ってね、大滝さんが“やはり楽しい音楽をやるために、そういうイヤな力はどんどん排除していこうよ”って言ってたのがすごく良くて。理屈っぽい言葉じゃなくて“楽しい音楽”って言ったところが大滝さんの好きなところですね」「だから何か、この人に声をかけてもらって良かったなぁ、と思ったんですよ」と振り返っている。>
↑
☆わたしがより惹かれたのは”イヤな力はどんどん排除してこうよ”ということのほうだけど。
<佐野も「大滝さんは知識をたくさん持っているけれども、知識だけじゃなくて知恵のある人だと思う。僕の上の世代の人たちはあまり僕らに伝えてくれなかったけれど、大滝さんは僕にいろんなことを伝えてくれて、僕はその中から必要なものだけを貰いました。世代間の繋がりを強く感じさせてくれた人です。そして、ナイアガラというメディアを借りて作品を発表できたのは、すごくラッキーでした。感謝しています」と答えている。>
☆アルバムの発売日が3月21日であることが多い。(最初のアルバムがそうだったからなのか?)
次に多いのが9月21日。他の月でもシングルの場合でも21日発売のものが結構ある。
(もしかしてお父さんの命日とか?)
大滝さんのあの歌声と音。
まるでお彼岸サウンドともいえるような、って気もする。
あれ、ナイアガラ・トライアングルの魅力を教えてくれた、きょうちゃんの誕生日も確か21日だったよね。
:::::::::::::::::::::::::::::::
「A面で恋をして」の音源が手元に無く
あまぞんで45秒だけ視聴してみたら
自分の脳内再生よりも
サウンドも歌声もずいぶん落ち着いていてびっくりした。
自分の記憶ほどテンションが高くなかったのだ。
こんなにやわらかい歌声だったんだ〜と。
そんなことから”自分の気持ちを「盛る」癖”がついていたのだ、ということについて
今度書いてみようと思った。
]]>
しあわせなカンちがい ( 脳内BGMは「A面で恋をして」 )
http://hapuna.exblog.jp/19415766/
2014-02-02T13:06:00+09:00
2014-06-18T18:23:46+09:00
2014-02-02T13:06:18+09:00
kangaroo-voice
おぼえがき
え〜えめんで
こぉ〜いをしってっ♪
ナイアガラ・トライアングルが好きだったなんて、
昨年の大晦日に訃報を知るまですっかり忘れてもいたんだけれど。
そして大瀧詠一さんのソロ曲だといつの間にか思い込んでいたけれど
これはナイアガラ・トライアングル名義だったんだね〜と
今検索して(訃報がきっかけで先月一度思い出したのにまたすっかり忘れていて)
また思い出した。
そして、「ああこれも(この経験も実は)みごとなトランアングルだったんじゃ〜んっ」て思ったよ(笑)
起こることに意味なんて実は何にもないんだよ。
それはただ起きてるだけなんだよ。
そこに意味を見出してるのは
そこに好き勝手な解釈をつけて
わ〜きゃ〜さわいどるんは
全部あんさんなんやでぇ〜〜〜 って。
そぉいえば、死んじゃった(会ったことなかったけれど)
おにいちゃんがそう言ってたなぁ〜って、今朝思い出したよ。
みたいな感じ。
そして会うこともなかったけれど、
でも実はいつもそばにいてくれた
「いつもおにいちゃんがいた」は
これもわたしにとっての相似形のひとつだったのだと
今書いていてつながった。
それはおにいちゃんでもあり
ジョシュアでもあり
それぞれ別々に存在するものでもあり
どちらでも一緒でもある。
いつもそばにいてくれたんだけれど
だからひとりぼっちでいたことなんて
本当はただの一度だってなかったはずなのに
実はそのことに気がついていなかったのは自分の方だけで
自分が気がつきさえすれば、それは...。
って、まんまそれACIMと同じやんけ〜〜〜っ。
いや、最初に書こうと思っていたのはね
「ああ、わたし、しあわせなカンちがいができるようになっていたんだね〜」って
ことだったのよ。
むかしむかしの仲間があるところに書いた文章の中に
「幸せな勘違いを持てないと生きづらい」
「幸せな勘違いができることで生きやすくなる」
というようなことがあって、それを読んで
わたしもああそうだよね〜って、当時すごくそう思ったことを思い出したの。
それは例えば「親はいつでも自分に関心を向けてくれている(ハズだ)」みたいなこと。
でも実際にはなかなかそういうわけにはいかない。
でもそう思えていることで
安心して何かをすることができる。
それは本当に単なるカン違いに過ぎなかったとしても、
(例えいつも0%じゃないとしても、誰にとってだっていつだって100%であるということは実際にはありえないのだけれども)
そういうカン違いをどれくらい持てているかどうかで、
(そのパーセンテージが著しく低くかったり、はたまた逆のベクトルの勘違いの方がが大く心を占めていたりすると、人生がとてつもなく過酷なものと感じられて
生きることが苦しくて仕方がないのだけれど)
人生はだんぜん生きやすくなる。
そういう話だったんだけれども。
ああ、わたしいつの間にかそういうしあわせなカン違いができるようになっていたんだ、とおもって
そのことを書こうと思っていたのだけれど。
今書いているうちに
この世的には(現実は?、自我の自分にとっては?どういう表現が一番しっくりくるのかちょっと今ピンときてないんだけれど)確かにそうなんだけれど、
でもあの世的(これも同じ感じで今暫定的な言葉として出てきたので)には
それはカン違いなんかではなくて、本当にそういうことなんですけれど??
モシモ〜シ、聴いてますか〜?ってことになるのかって。
なんか書いているうちに思いついたことを書いていたら
最初にその後に続いて書こうと思ったことを忘れちゃったよ。
けど、まぁいいや。
ああ、そうそう思いだした。
ある人に自分の中にある要素や、
自分にとっての素晴らしい経験や
素晴らしい人との関わりを投影して
そのことによって自分自身が力を得て
枠がはずれて、自由を取りもどして
元気になったんだから、
それが自分にとっての事実であることには
変わりがないのだからそれでいいんだ。
ということを書こうと思っていたんだった。
そして、昨日は投影した要素の中の見えていなかったもの
かつての自分のなかにもあったもの(今だってゼロになっていたわけでは
ないけれど、かつてよりはだいぶパーセンテージが低くはなったきていたもの)
に対する気持ち悪さを感じた。
そうだ、そういう気持ちわるいものはもう自分はいらない。
こんな気持ちわるいものだったなんて、かつての自分にはわかっていなかったけれど
それがわかったから、もういらない。
もうやめる。それに基づく現実ももう必要ない。
と、そんなことをふっと、静かにそっと思えればそれでいい。
それをうすうす感付きながらもまた自分をごまかそうとしていたことにも
また気がつけた。だから加点1。
ひとりで勝手に気がついただけじゃなかったということも。
自分にもちゃんとそういう友達がいたじゃないか、っていうことも。
それはあの世的に言ってしまえば、でもそれも結局
自作自演なんだけどね。ひとりしかいないんだよね
ということになるのだろうけれど。
でも、ひとりじゃなかったよ、と。
またここでもしあわせなカンちがい♪
(あ、BGMは書き始めたらすぐにやんでましたので一応・笑)
ほかにも最初に書こうと思ったことあったけれど
さすがにつかれてきたのでもういいや。
そうそう1月31日の旧暦の新年に
でっかいお年玉もらったんだな〜って。
そして、あれは自分にもお年玉をあげたってことにもなるのかなぁ〜って。
そんな風に思っておりやす。
そうそう、バッタはまだおります。
うっかりつぶしてしまいそうな危険がありましたので
昨日むしとりかごを買ってきて保護して様子をみております。
あたたかくなったらどこかに放そうと思っています。
校正不足だけどひとまずこのままで。
]]>
よくたべました♪(&バッタの持つ象徴的意味合い、そして降伏は幸福だ♪)
http://hapuna.exblog.jp/19403775/
2014-01-30T14:30:00+09:00
2014-06-18T18:23:07+09:00
2014-01-30T11:24:02+09:00
kangaroo-voice
バッタ
そして歯型がついたよ。
バッタの歯型は初めて見たよ♪
一口で食べたわけじゃないけどね。(笑)
バッタの頭の上のあたりにちいさく三日月状にりんごが欠けてるのがわかるかな。
よく食べました♪
これでしばらくは(今日明日ぐらい?)は大丈夫でしょう。
たくさん食べて30分もしたら日が曇ってきて
りんごから少し離れた斜め下のほうでまたじっとしていました。
バッタの持つ象徴的な意味として、
思ったほどたくさんの検索結果が得られなかったのだけれど
こちらのページから(http://blogs.yahoo.co.jp/ohayouutuki/21153490.htm)
有り難く引用させていただきます。
「繁殖力が旺盛で、古代ギリシャでは裕福さの象徴とされ、
高貴な人々は黄金のバッタの髪飾りをつけたとされます。
鳴き声が仏教僧の詠唱を表し、中国では幸福の象徴でもあります。」
それと、「越冬できる唯一のバッタ」というところで充分過ぎるくらい充分なのかな♪と。
このバッタがやってきたのがおとといの28日。
裕福さの象徴ということでは
その前日にある申し込みをしたことと呼応してのシンクロであったり
象徴的なできごとでもあるというふうにも捉えていいのだろうと思っています。
今書きだしてみて「鳴き声が詠唱を表し」というところで
あらま、もうすぐ ヴォイスヒーリングの活動ブログを閉じることとも
つながっていたのかしらとも思ったのでした。
(なんだかお経みたいな声だと言われたことも何度かあったのです^^)
そして27日にしたある申し込みをする時の自分の境地は「降参」でした。
何に対しての降参だったのかよくわからなかったのだけれど
「わかった、もう降参するから」と静かな気持ちですごすごと申し込みしたのでした。
そして今日
そうそう、自分に降伏、降参することなんだよねーとも思っていたのですが...
さっき「中国では幸福の」と打っていて
最初に「降伏」と出てきて、ああ!と、また思ったのでした。
幸福=降伏
降伏=幸福
幸福=降伏なんだよ、おっかさん。
いや皆の衆か。
降伏は、幸福...なんだな。(山下清さん風に)
わーーーーー♪
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リンクを貼る試みはしてみたのですが
やり方が新しくなっているらしく、
昔の記事を参照してやってみたらなんだかやけにおかしなことになってしまって
やっとこさ元の状態に戻しました。。
またいつの日にかトライしてみます。。ε=(。・д・。)フー
同じく、写真(またなぜか”捨身”とか変換されちゃうのですが)の
サイズの調整もわからず、携帯から一番小さいサイズで投稿したのに
PCだとこんなにでっかくて
虫ぎらいの方が見ちゃったらごめんね。。
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捨身かぁ。。。
ほかの変換候補に写心とか
写神てのもあったよ。
寫眞とか寫真てのは写真の旧字体らしい。
真実を写すと書いて写真。
写真とは写心であり、写神でもあり、つまりそれは捨身でもある??
しゃしん。。
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