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kangaroo voice 

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フラワーエッセンスレポート3


6回目は義祖父の葬儀のために欠席したため、後日個人で補講をしていただいた。
この間に新しくヒーリングの先生のアシスタントの仕事を勤めるようになり、またその
ことでバランスを崩した。義母への想いなどをかけすぎて疲弊していたことにも気付い
て距離を取ることにもした。また5月17日にお別れをした仲間の四十九日が過ぎる
と、悲鳴のような死別の悲しみが込み上げてきてしばらくさみしさに浸っていた。四
十九日を過ぎて無事に光に還ったことを知らせてくれたのかと感じた。でもその光の
感覚はピュアで尊く気高いのと同時に遠いのだった。その遠さがせつなかった。同時
に亡き母や亡き猫のことも想っていることはわかったいたけれど。

この回はほとんど個人セッションのような感じで、講義の時間が少なかったことを美
保さんは気にしてくださっていたが、わたしはそれが有り難かったし、たくさん話せ
て嬉しかった。まともに講義を聴くにはとにかくとても疲れすぎていたし、美保さん
のご自身の体験からのお話、美保さん自身が大きく変化されたことなどから得られた
ものがたくさんあった。

「エッセンスをもっとさまざまな形で活用していくことが可能だし、求められている
ということ」、「今現在日本で認識されているような受け入れ方よりも、もっとずっ
と治療的効果が高いものなのだ」ということなどもしっかり頭の隅においておきたい
ことだと思っている。

この回でのエッセンスは「レッドチェストナット、コスモス、エケネイシャ、アロエ
ヴェラ、セントジョーンズワート、ブリーディングハート」
わたしがアロエヴェラを摂る日が来ようとは、という感慨深いものがあった。どちら
かいうと、そもそもがバイタリティ不足というタイプだと思っていたからだ。でも写
真で見てもからだが一番求めているのを感じた。エケネイシャにもとても惹かれた。
6種類となったがこの組み合わせにはかなりしっくりくるものがあった。これも美保
さんが写真を見せてくれながら私のベーシックな部分の感覚に照らして選んでくださ
った。

セントジョーンズワートは不安や精神疲労などで不眠気味になった時によく効いてく
れたようだ。また何か精神的に弱りがちな部分を支え、光に向かっていくよう勇気づ
けてくれていたようにも感じる。3年前に精神科医の越智啓子先生が処方してくださ
ったフラワーエッセンスの中にセントジョーンズワートが入っていたのだが、気にな
りつつもこれまで試してみる機会がなかったので今回出会えて良かった。
何かが私に合っているのかもしれない。
どうかするとネガティブな方に(それも、ともすれば大きく)傾きやすい性質を
そうならないように助けてくれるのかもしれない。

ハーブとしてのセントジョーンズワートは抗うつ作用が知られていて、私も少し飲ん
でみたことがあるけれど、フラワーエッセンスの方がはるかに合っていたようだ。
物質的な形で摂取するほうが肉体に作用しやすい場合があるのは認めるが、ハーブを
カプセル状で飲むと胃に負担かかることもあったので。

そして、わたしにとってレッドチェストナットは「わたしだってやるときはちゃんと
やるんだ」という経験を踏むことができたこと、必要な時には目の前のものごとにき
ちんと向き合う性質がちゃんと自分の中にあるのだということの象徴となるエッセン
スとなった。


約2週間後の7回目のクラスでも6回目の同じ組み合わせに「ゲンチアナ」を加えた
7種類を摂った。
「ゲンチアナ」はこれまでも何度か美保さんから処方していただいたことがある。
もしかして今更だけれどタイプレメディなのかな。確かに何もそこまでという悲観的
さと、現実感覚ゼロのような単細胞過ぎるほどの楽天的な性質の差が激しすぎるかも
しれない。そして圧倒的に気落ちしていることが多い。でも何かきっかけがあればか
なり変わりやすくもある。

この時は、親のことが一段落し、現実対処能力を高めるためと収入を得るために新し
い仕事も始め、そのストレスが一段落したと思った翌日に、夫とのコミュニケーショ
ンの新機軸を迎えることになった。

新機軸なんていうとなんだかかっこいいけれど、ほんとは昔からどこかではずっとわ
かっていて、でも今までは向き合うことを避けざるをえない部分のことだった。そこ
を避ける必要があったため今まではお互いに勝手にそれぞれ我が道を行ってるところ
があり、わたしもわたしでそれはそれで有り難く自分の癒しに時間と費用をたっぷり
かけることができた。
でも今まで自分さえ頑張ればそれでよかったが、ここから先は二人でやっていかなけ
ればならなくなった。そして試行錯誤することこの1ヶ月。道はまだ遠い。。。。。
二十年にも及ぶお互い様の歴史を超えて、これまでのパターンを打破し、ここから新
たなコミュニケーションを作り上げていくことができるのか。
で、ようやく冒頭のローテンションにつながるのであった。

夫に何か言ってみては、後から、でもそんなこと言ったら自分だってと責めて落ち込
み。私たちでは幸せにはなれないのかもしれないと落ち込み。そもそも夫婦ってなん
だ?とか、二人で生きていくとは?とかきわめて哲学的な思索にも及んでしまいそう
にもなるが、もう一人で考えるのもうんざりなので考えない。今も「ゲンチアナ」を
中心にエッセンスを飲んでいる。


少し前に前のエッセンスがなくなってからしばらく何も飲んでいなかったときに、今
は「ハニーサックルとワイルドローズ」かなぁと思っていたのだけれど、はたと「な
んでそうやってわたしばっかり一生懸命に治さなくちゃなんないのよぉ~」と思って
、ばからしくなって飲むのをやめた。

その後拙いながらも、というか私自身もそもそも何を伝えたいのか、何を望んでいる
のか実はよくわかっていないところがある。でも何か言い様のない感覚があって、ど
うやらもうそこをなかったことにしては生きてはいけないところへきているらしい。
その言い様のない感覚をなんとか表現するために、なんとか少しでもそこに近づいて
そのことを伝えられる範囲でそのつど夫に伝えるようにしてはいる。

この前はちょっとした怒りを利用して、その勢いで言えることを言ってみた。すると
しばらくして夫が泣き出した。「そんなにつらかったんだ、ごめんね」とあわててフ
ォローしたのだが、「そういうことではなく、それがどういう感情からきているのか
はさっぱりわからないけれど、途中から無性に泣きたくなっていたのだ」という。

もしかしたらその言い様のない感覚の何かが夫にエネルギーで伝わったのかもしれな
いと思った。わたしの想いに反応してくれたのか、夫の中にも同じ想いがあって反応
したのか、その両方なのか、わからないけれど、「もしもまたそういうことがあった
ら我慢しないで盛大に泣いてくれた方がわたしも救われるかもしれない」と伝えると
、「ではその時は遠慮なくそうさせてもらう」とのことだった。

「何を伝えたいのか本当はよくわからないのだけれど、もっと深いレベルで仲良くな
りたいのだ」とも伝えた。
彼がそれをどう感じたかはわからないけれど、わたしとしては彼に対してとしては、
これまでになく(!)優しい語り口で伝えられたと思った。それはセッションを提供
することができるようになったおかげも大きいのかなとも思った。たいせつなお客様
をお迎えするときに自分の中からかき集めてくる優しさと同じようなものを、今まで
最も身近にいながら一番素直に表現することができずにいた彼に対して初めて引き出
すことができたように感じたからだ。
それをきっかけに現在彼にフラワーエッセンスを飲んでもらうこともできた。それで
わたしも同じものを中心に飲んでみたりしている。

おとといは彼にヒーリングもしてみた。以外にもなんだかずいぶん深いとろにアクセ
スしてしまったのか、今までになく不可解なイメージを見たりして、いったいどうい
う人なんだろう、なんて後から不安になったりもしたが「きょうはもうここでおしま
いにしていいよ。またやってごらん、変化がわかるから。あなたのパートナーを信頼
しなさい。」と言われた気がしたのでまた折りをみてしてみようと思っている。

きょうもなんだかんだと落ち込んだりしていたが、自分だけが癒されている罪悪感の
ようなものもあるのかなとも思った。落ち込んでるのも、自分が頭で作った思考のせ
いでエネルギーが低下しているのだということも、意識しておくことができた。


ローテンションだから書けないかもと思いつつ、書き出したらいっきにここまで書い
てしまった。いちいち横道にそれながら、勢いでできた文章で長くて迷惑このうえな
いかもしれないけれどこのまま提出させていただく。

今回は再受講ということで、前回とはうって変わって余裕を持って優雅に受講し、優
雅にレポートも書くのだとひそかにもくろんでいたのだが、結果は途中から命からが
ら受講しているようなものだったりもした(←思いつくままあまり表現を考えないで
書いているのでかなり大げさ、命からがらって...)。
クラスを受講したから、こういう流れになったのか、こういう流れになることがわか
ってたから支えとしてクラスを受講することにしたのかわからないが、どうなること
やらと思っていたレポートがなんとか書けてよかった。

正直、自分が何を望んでいるのかも、フラワーエッセンスと今後このようにおつきあ
いをしていきます!みたいなものもはっきり書けるものはない。でもたくさん抵抗し
つつもきっと流れていくところに流れていくのでしょう。でもただ流されるばかりで
はなく、時には大きく川岸を足で蹴って前に進む勇気も持ちたいと思う。


最近は自分の本質に近い部分の性質を少しづつ垣間みたり、認めることができるよう
にもなってきました。そちらが本来の姿なのだと忘れないでいる時間も少しづつ増え
てきたような気もします。でも小我な自分にはまっている時間も実は結構好きでやっ
てるのかもしれないとも思う今日この頃。こんなことを書いていること自体わたしは
とても変わったのだろうと思っています。

美保さん、クラスでご一緒したみなさん、いろいろありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

2006年8月29日
by kangaroo-voice | 2006-08-30 18:38